みなさんこんにちわ ぱわちる代表のそらです🌷
🚨ぱわちるでは離婚後の共同親権には反対の立場をとっています 共同親権を推奨している方はスタッフにはなれませんのでご理解の程よろしくお願いいたします
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今回は、当事者という視点から記事を書きたいと思います。
勿論、勝手な意見ですので不快に思ったら、ごめんなさい。🙏
私は、虐待サバイバー、精神障碍、発達障碍当事者です。
「生きずらい属性」と世間では言われてる当事者です。
あえて言うならそのカテゴライズされた属性の中にいる人たちは昔から「差別、偏見」の中にさらされてきました。
昔、障碍を持つ子どもが生まれると「恥」という文化がある地域ではその子を狭い部屋に閉じ込めて放置しました。。
暗く不衛生な部屋の中でその子たちは死ぬまでずっと閉じ込められていました。
貧困という時代背景もありましたが、それでもその子たちには最低限の生きていくための権利も、人権も与えられていませんでした。
「障害」があるから何もできないという間違った刷り込みの結果です。
その子たちは暗く狭い部屋の中で絶望的な毎日を、どんな思いですごしていたのでしょうか?😭
どんなに重い障碍を抱えてしまったとしても、その子には生きる権利があり誰にも命を傷つける権利はないのです。
そもそも、差別や偏見などが連鎖してきた背景の一つの要因として「べきねばちゃんと」「男尊女卑」「家父長制度」などの古い価値観があります。
生まれてきた子どもは、何も悪くないのに時代背景や環境などがその子の心を壊していきます。
障碍を、抱えて生まれてきた子にも同じことが言えます。
自分ではどうにもできないことを、誰にも傷つける権利はないのです。
まだまだ根深い障碍者への差別という記事ではこんな意見がありました。
差別・偏見は絶対に無くならない。子どもの頃から、障碍者と健常者が混ざって同じ生活をする。「こんな人・あんな人も居る」と大人が教えないと、子どもの頃から偏見を持つと思う
本当にその通りだと私も思っていて 幼稚園保育園の頃の子どものうちから、ごちゃまぜで過ごす時間を増やすことができればお互いに「こういう子もいるんだな」と多様性を学ぶこともお互いに助け合うこともできます。
この記事も読んでいていいなと思ったので載せておきます。
いつの時代にも、いろんなことに対しての差別や偏見があります。
どうしてそうなるのかといえばいろんな要因はありますが「自分にはわからないこと」「自分の知らないこと」だからじゃないでしょうか?
子どもの頃から「みんな同じ」を、刷り込まれ「同調圧力」には逆らえない空気の中で育てられて「思考停止」にさせられてきた結果です。😱
人間は「知らないこと、わからないこと」を目の前にするとその状況によっては「怖い」と感じます。
それは、一種の「危険から身を守る防衛本能」なのかもしれません
「想像力」があるならば、相手の発言や行動、外見など見た目だけで判断せずその背景には何があるんだろう?どうしてこういう行動、言動をしたんだろう?と考えることもできるのかなと思います。
「想像力」は、人間にとって一番大事な武器であり、いくら科学が進歩しても機械にはそれを取り込むことは無理でしょう。
いろんなことに柔軟な対応ができるのは人間にしかできないのだから...
私たちは「考えること」をやめてはいけません。
そして誰にも子どもの「想像力」「好奇心」を奪う権利もありません。
「どうして?」「なんで?」という気持ちをなくしてはいけないのです。
そこから、たくさんの何かが生まれる可能性があるからです。😊
私は、「どうして?」「なんで?」「わからない」の保存フォルダをいつも心に作っておきたいなと思います。
私は、虐待サバイバーとしても、発達障碍当事者としても自分ができることで、「差別や偏見」はいけないということを伝えていきたいし、「虐待撲滅の小さな種」を、あちこちにまき散らしていきたいと思っています。
今回も、まとならない記事を最後までお読みいただきありがとうございました。😂
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