2023年2月23日木曜日

ツイッターのスペースで本の朗読をしています。あなたも参加しませんか? #虐待撲滅の小さな種を蒔こう



 こんにちわ ぱわちる代表のそらです🍀

 🚨ぱわちるでは離婚後の共同親権には反対の立場をとっています 共同親権を推奨している方はスタッフにはなれませんのでご理解の程よろしくお願いいたします
  

 私は、毎日ツイッターでスペースを、しています。

 そして、最近は「本の朗読」を始めました。

 やはり、私は、虐待撲滅を訴えているので最初は、今一生さんの「子ども虐待はなくせる」を、読んでみました。

 この本は、いろいろな省庁のデータや統計などを基に書かれてはいますが、児童相談所や、里親などでも虐待は起きている現状や、事例があるので改めて朗読するのは、辛かったです。

 友達が協力してくれて何とか読み終わりました。🙏

 今は「星の王子さま」を朗読しています。

 大人になって忘れてしまった大事なものをこの本を通じて思い出したいと思います。

     



 さて、どうして私が朗読を始めたか?ですが、簡単に言えば子どもの頃の自分に本を読んであげたかったからです。

 そして、私が選ぶ本には共通しているものがあります。

 それは「誰でも昔は子どもだった」です。

 大人になった人達に、自分も子どもだったということを思い出して欲しいのです。

 今の社会は、大人が勝手に決めたルールで溢れ返りそこには子どもの声はありません。

 子どもはいつも狭い檻の中で重たい鎖で縛られて声を上げることもできません。

 粗雑な大人を見ればその子も粗雑になり、差別や偏見の中で育てばその子の心にもいつの間にか悪しき感情は連鎖していきます。

 この国は、ずっと負の連鎖が当たり前のように社会の空気に蔓延しています。

 子どもの心を壊していくのは大人です。

 私も、一人の大人として今を生きてる子どもたちに申し訳ないと思います。

 10代から30代までの死因のトップが自殺というこの国は、本当に異常だと思いませんか?

 虐待だけで一年間で350人以上の子どもたちが殺されてるこの国は、異常だと思いませんか?

    


 私は、これからも様々な本の朗読を通して、自分自身に今を生きる子どもたちに自分ができることは何だろう?という問いかけをしていきたいと思います。

 もっとたくさんの人に朗読を聞いてもらい、みんなで虐待のリアルを共有して、 一緒に「子どもを大事にするのは自分も大事にすること」という気持ちを分かち合いたいのです。

 この国の明日を繋いでいくのは、今を生きる子どもたちです。

 その子たちが、安心安全に生きていける社会の空気を作るのは私たち大人の責任ではないでしょうか?
      

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2023年2月21日火曜日

子どもの頃の話






 こんにちわ ぱわちる代表のそらです🐌

 🚨ぱわちるでは離婚後の共同親権には反対の立場をとっています 共同親権を推奨している方はスタッフにはなれませんのでご理解の程よろしくお願いいたします

 今回は、私の子どもの頃の話を書こうと思います。

 私が子どものころにどんな虐待被害を受けたのかは去年のパワチル東京ブログ書いてあります。

 私は、毎日ツイッターでスペースをしていますが、ある時解離性障害の話になった時に気が付いたことがありました。

 私は、子どものころの記憶があまりありません。

 記憶はないというより、子どもの頃の自分が何を考えてどんな行動をして何を話してたのかすら覚えていないのです。

 そりゃあ、少しくらいは思い出すこともあるし、悪かったことばかりではないけれどそれでも子どもの頃のほとんどの事は覚えていないのです。

 離人症という言葉で調べていくとこう書いてあります。

 自分が自分の心や体から離れていったり、また自分が自身の観察者になるような状態を感じること。その被験者は自分が変化し、世界があいまいになり、現実感を喪失し、その意味合いを失ったと感じる

 もしかしたら 、私が子どもの頃に感じてた感覚はこれだったのではないかということに気が付いたのです。😱

 毎日、悲惨な虐待をされている子どもは、自分の心を守るための自己防衛として別の人格を作り出すことがあります。

 あまりにも辛くて悲しくて怖くて痛すぎる日常から、子どもはどこにも逃げる場所がないからです。😭

 だから、心だけでも守ろうとして自己防衛反応が働くのです。

 心という場所は、自分だけの大切な場所で誰にも壊す権利はないのです。

 誰だって、毎日虐待されたり虐められたり、自分にとって恐ろしい環境に置かれていれば病んでいきます。

 あなたには、誰かの心のシグナルを察知できるアンテナがありますか?

 もし、目の前でそういうことが起きていたらその人を助ける勇気がありますか?

 その時の状況もあると思いますが、私も実際に動けるか?と言われたらわかりません。

 人間も動物も目の前に怖いことが起きた時、自己防衛反応が働くので固まってしまってすぐには動けないこともあります。

 でも、きっと傍観者のままで通り過ぎることをしたら私はずっと後悔すると思います。

 子どもの頃の話から脱線しましたが、虐待、虐めなどにあってる子どもたちは誰にも相談できないことが多いです。

 相談したとしても、必ずしもそこに救いがあるとは限りません。

 その子の周りには、どれだけ子どものシグナルに敏感な大人がいるでしょうか?

 その子を何とか救いたいと、動き出す大人はどれだけいるでしょうか?

 虐待も虐めも、密室で起こっています。

 それが、虐待なのか?虐めなのか?の判断も難しいです。

 人間は、悲しくてつらい時ほど笑顔でいることが多いです。

 辛すぎて笑うしかないからです。

    


 子どものころの私も、いつも笑っていたように思います。

 人格を否定されて、生まれてきたことさえも否定されてきた私は誰とも話せなくなりました。

 「自分は醜いから人の顔を見てはいけない」「誰も私の話なんか聞いてくれない」「私は、何もできないし、やってはいけない」と思い込んでいました。

 それは、毒親からの洗脳でした。

 そして、現実感を喪失しその意味合いを失ったと感じながら生きていたのだと思います。

 私は、今も虐待や虐めで苦しむ子どもたちのために、虐待後遺症で苦しむ人たちのために 今年も虐待撲滅の声を上げていこうと思います。

 私は、小さな石ころなので一人でできることは小さな声を上げることくらいしかできません。

 だけど仲間が集まれば、その小さな石ころも大きな石になるのです。

 東京23区にお住まいの方、私と一緒に活動してみませんか?

 最後までお読みいただきありがとうございました。🌳

                      


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2023年2月8日水曜日

 「考える」を続けよう#虐待撲滅の小さな種を蒔こう


 

 みなさんこんにちわ ぱわちる代表のそらです🌷

   🚨ぱわちるでは離婚後の共同親権には反対の立場をとっています 共同親権を推奨している方はスタッフにはなれませんのでご理解の程よろしくお願いいたします

 今回は、当事者という視点から記事を書きたいと思います。
 
 勿論、勝手な意見ですので不快に思ったら、ごめんなさい。🙏

 私は、虐待サバイバー、精神障碍、発達障碍当事者です。

 「生きずらい属性」と世間では言われてる当事者です。

 あえて言うならそのカテゴライズされた属性の中にいる人たちは昔から「差別、偏見」の中にさらされてきました。

 昔、障碍を持つ子どもが生まれると「恥」という文化がある地域ではその子を狭い部屋に閉じ込めて放置しました。

 暗く不衛生な部屋の中でその子たちは死ぬまでずっと閉じ込められていました。

 貧困という時代背景もありましたが、それでもその子たちには最低限の生きていくための権利も、人権も与えられていませんでした。

 「障害」があるから何もできないという間違った刷り込みの結果です。

 その子たちは暗く狭い部屋の中で絶望的な毎日を、どんな思いですごしていたのでしょうか?😭

 どんなに重い障碍を抱えてしまったとしても、その子には生きる権利があり誰にも命を傷つける権利はないのです。

 そもそも、差別や偏見などが連鎖してきた背景の一つの要因として「べきねばちゃんと」「男尊女卑」「家父長制度」などの古い価値観があります。

 生まれてきた子どもは、何も悪くないのに時代背景や環境などがその子の心を壊していきます。

 障碍を、抱えて生まれてきた子にも同じことが言えます。

 自分ではどうにもできないことを、誰にも傷つける権利はないのです。

  まだまだ根深い障碍者への差別という記事ではこんな意見がありました。

  差別・偏見は絶対に無くならない。子どもの頃から、障碍者と健常者が混ざって同じ生活をする。「こんな人・あんな人も居る」と大人が教えないと、子どもの頃から偏見を持つと思う

 本当にその通りだと私も思っていて 幼稚園保育園の頃の子どものうちから、ごちゃまぜで過ごす時間を増やすことができればお互いに「こういう子もいるんだな」と多様性を学ぶこともお互いに助け合うこともできます。

 この記事も読んでいていいなと思ったので載せておきます。


             

        

 いつの時代にも、いろんなことに対しての差別や偏見があります。

 どうしてそうなるのかといえばいろんな要因はありますが「自分にはわからないこと」「自分の知らないこと」だからじゃないでしょうか?

 子どもの頃から「みんな同じ」を、刷り込まれ「同調圧力」には逆らえない空気の中で育てられて「思考停止」にさせられてきた結果です。😱

 
 人間は「知らないこと、わからないこと」を目の前にするとその状況によっては「怖い」と感じます。

 それは、一種の「危険から身を守る防衛本能」なのかもしれません

 「想像力」があるならば、相手の発言や行動、外見など見た目だけで判断せずその背景には何があるんだろう?どうしてこういう行動、言動をしたんだろう?と考えることもできるのかなと思います。

 「想像力」は、人間にとって一番大事な武器であり、いくら科学が進歩しても機械にはそれを取り込むことは無理でしょう。

 いろんなことに柔軟な対応ができるのは人間にしかできないのだから...

     



 私たちは「考えること」をやめてはいけません。

 そして誰にも子どもの「想像力」「好奇心」を奪う権利もありません。

 「どうして?」「なんで?」という気持ちをなくしてはいけないのです。

 そこから、たくさんの何かが生まれる可能性があるからです。😊

 私は、「どうして?」「なんで?」「わからない」の保存フォルダをいつも心に作っておきたいなと思います。

 私は、虐待サバイバーとしても、発達障碍当事者としても自分ができることで、「差別や偏見」はいけないということを伝えていきたいし、「虐待撲滅の小さな種」を、あちこちにまき散らしていきたいと思っています。

 今回も、まとならない記事を最後までお読みいただきありがとうございました。😂


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2023年2月1日水曜日

 この国の児童虐待防止策は30年以上も失敗している #虐待撲滅の小さな種を蒔こう




 こんにちわ ぱわちる代表のそらです😊

 この国の児童虐待防止策は、30年以上も失敗しているのにそのことを認めず、そもそも親に虐待させない仕組みを作らないまま、今日まで虐待を増加させてきました。

 その結果、児童保護施設への子どもに関する相談件数(虐待、非行、不登校 家庭内暴力等々)ばかりが増えて、施設職員の仕事時間は過労死ラインを超えているレベルです。

 虐待で殺される子どもの数も 虐待後遺症で苦しみ自殺してしまう若者の数も増え続けています。

 そもそもこの国には子どもを大事にしようという文化が根付いていないために時代背景などの要因も絡んで昔から子どもは大人の都合のいい奴隷のような扱いを受けてきました。

 それは、自己肯定感を奪われ自己否定感ばかりを植え付けられるということです。

 その結果虐待されていたことも、今も虐待で苦しんでいることを誰にも話せない、誰にも言えない空気が出来上がってしまっています。

 子どものころに親から、理不尽な扱いを受けたことを話したとしても、今、虐待されて苦しんでいると話したとしても「あなただって悪いところがある」「それはしつけ」「子どもの頃の話でしょ?」「親だって大変だったけどちゃんと育ててくれたでしょ?」と心に痛みを受けたことに対して、過去のことのようにされがちですが、虐待サバイバーにとっては、その痛みは今も続いて「なかったこと」にも「忘れること」もできないのです。

 その言葉は、虐待当事者にとって「辛いことは、なかったことにしなさい」と言われてるのと一緒です。

 虐待をなくすためには様々な課題が絡んでいます。

 これは私の勝手な想像ですが、小さいころから、私たちは誰からも虐待についても、子どもの権利についても、子どものころに知りたかったいろいろな情報を教えられてきませんでした。

 それは、どうしてだと思いますか? 

 子どもにとって本当に必要な情報は大人にとって都合の悪いことだからです。

 大人になってから、いろいろな情報を知っても子どものころに知りたかったことが、多かったのではないでしょうか?

 例えば、子どものころに、父親に性虐待を受けていた女性は大人になってから、自分が性虐待を受けていたことに気が付いて父親を訴えました。

 しかし、父親は罪を認めたものの賠償金については期限が切れていたのです。

 もし、その女性が子どものころに虐待とは何か?子どもの権利とは何か?未成年でも後見人制度を使えば、親権停止の裁判が起こせるということを知っていたなら その後の人生も、変わっていたかもしれないのです。

 子どもにとって家庭という場所は、どんなに辛くてもどんなに逃げたくても離れられない場合がほとんどです。

 未成年の場合は親権というものに縛られているからです。

 でも、子どもが大人になっても、いつまでも追いかけてくる親もいます。

 自分の家庭しかわからなかったので、大人になって自分が結婚した時に自分が育ってきた家庭がモデルとなっていく場合が多いと思います。

そして「子どもは叩いてしつけをするのは当たり前」という間違った刷り込みをされているので、その連鎖が起きるのです。

 そもそも「しつけ」という言葉が間違っているのです。

 子どもは、大人の所有物でもペットでもありません。

 子どもに何かを教えるときは「しつける」のではなく伝えていくのです。

 勿論、自分が子どものころに虐待されていたので、同じことを自分の子どもには絶対にしないと連鎖を断ち切った人もいます。

 自分の抱えてる問題や、困っていることや、自分が子どものころに受けてきた理不尽で傷ついた心の痛みを話してもいいんだというコミュニティを、作っていかなければ、その鬱積した感情は子どもに向けられていきます。

 じゃあ その鬱積した感情を、黙って聞くしかできない子どもにぶつければその問題やストレスや悩んでいることは解決できますか?

 それをぶつけられた子どもの心の傷は一晩寝れば治りますか?

 その感情を吐き出すことは悪いことではなくむしろ吐き出してしまってもいいのです。

 でも 子どもに向けて吐き出すというやり方が間違っているのです。

 じゃあどうすればいいか?その鬱積した感情や自分が困ってることなどを、ノートに殴り書きします、誰かに話します。

 でも、先ほど言ったように、今の社会では「誰にも話せない」「話したって理解されない」「否定される」そういう空気が蔓延している又はそういうコミュニティがないという現実があります。

 そういう居場所づくりは大事だと思います。

 そのためには、まず仲間を集めることから始めてコミュニティを広げていくことが大事です。

 私も、この活動を継続するには仲間集めがスタートとなるのでスタッフ募集を、呼びかけています。

          


 いろんな問題を抱えた当事者が声を上げて、政治家に訴えていく活動を広げていかなければ、法律条例も、社会の空気も変えられないのです。

 子どもを尊重して大事に育てようという空気を増やさなければ、そして虐待をなくさなければ、このままだと日本は確実に終わるでしょう。

 子どもは、いつかは大人になりそして未来を繋げていきます。

 だから、大人には「子どもを大事に育てていく」という責任があります。

 子どもの未来の社会の中に「誰にでも、助けてといえる」空気が蔓延しているコミュニティが増えていたらいいなあと思います。

 子どもの頃の私たちは何も悪くなかったんですから...。

 最後までお読みいただきありがとうございました。🙏  

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