みなさんの中にも、子どものころ「噓をついてはいけない」「噓つきは泥棒の始まり」と教えられた人はたくさんいると思います。
子どものころは「親は間違わない噓もつかない」と信じ込まされているので、その言葉を聞いて自分なりに「そうだよね」と思って、噓をついてしまったりした時に「悪いことしてしまった」と思ってしまいます。😣
それでは「噓」とはどういうことでしょうか?
意味解説辞典 というサイトの中から引用してみましょう
嘘とは、事実ではないことを相手に伝えることを意味しています。
まったくそんな事実はないというのに、平気で人にありもしないことを言うとき「嘘をつく」と言います。
自分の方から故意に虚偽の話を作り上げて、相手を信じ込ませようとするときに使うことで信じ込ませ、自分が悪い立場にならないようにするわけです。
しかし、いくら正しく生きている人でも嘘をつくことはあります。
ただ、このときの嘘をつくとは、人を笑わせたり、職場での人間関係をいいものにするために使います。
また、愛する家族や恋人などにあえてかわいく嘘をつくことで気持ちをつかみ、幸せな気持ちにすることもできます。
このかわいい嘘とは、疲れているのに「今日は○○君と会えて本当に嬉しい」と事実とは違うことを言えば相手を幸せな気持ちにできるのです。
嘘の例文
・私は嘘をつく人は嫌いだ。
・かわいい嘘で相手の気持ちをつかむ。
自分は嘘をつく人とは付き合えないし、拒否する気持ちを表しています。
一方で、愛する相手には嬉しくなるような嘘をつくことで気持ちを掴み、いい雰囲気にできるわけです。
・かわいい嘘で相手の気持ちをつかむ。
自分は嘘をつく人とは付き合えないし、拒否する気持ちを表しています。
一方で、愛する相手には嬉しくなるような嘘をつくことで気持ちを掴み、いい雰囲気にできるわけです。
それでは「騙す」とはどういうことでしょうか?
騙すとは、偽りで人をあざむくという意味があります。
たぶらかして、人を不快な気持ちにさせるという意味合いもあります。
本当ではないことを平気で相手に伝えて、本当であるように思い込ませます。
その人が本当かと思って自分を信じるその姿を見て楽しい気持ちが芽生えるのも、この騙すに当てはまる感情です。
人が本気で騙されると快感を覚えたり、気を紛らわすなど騙す人は悪いことをしていると知っていて、人をあざむくのが楽しいと快感を覚えるのです。
このような人は何度も人を騙すことでストレスを発散したり、嫌なことをまぎらわせます。
使い方としては、「人を騙すことがうまい」とその人を褒めるときに使う場合もあります。
たいていは悪い意味で使う言葉であり、騙すような人とは付き合うといいことはないので、「人を騙すような人とは付き合ってはいけない」と忠告するときに使います。
騙すの例文
・人を騙すような人とは付き合ってはいけない。
・あの人は平気で人を騙すから注意しろ。
人を平気で騙す人といると自分もそのような悪い心を持つ人になってしまうので、付き合わないようにしましょう。
平気で人を騙す人はいずれ自分も騙されて、悪いことに巻き込まれることがあります。
私たちのイメージとしては上の記事のように「噓」より「騙す」の方が「悪意」があり「噓」の方が軽い印象がありますね
子どものころ大人から言われた「噓をついてはいけない」という言葉は、私的には「絶対に噓をつかないってことはできないから守ることはできない」ことと思っています。
いろんな状況や、タイミングで「噓」をついてしまうこともあるからです。
自分を守るためのウソもあれば、誰かを傷つけないためのウソもあれば、周りの空気に流されてしまうこともあるからです。
そして 自分の心を守るために本当の自分の気持ちに噓をつかなければ生き延びてこられなかったのも虐待サバイバーの悲しいところです。😔
自分にも誰かにも「噓」をつきたくないし、人を傷つけることもしたくないから、いつも素直に正直に言葉を使いたいとは思っていても、やはり、誰かを傷つけたくないから、言葉を濁してしまったり…
お互い 本当はいろいろなことを、本音で語り合って悪い意味でも良い意味でも深い話が出来るような関係というのは、きっとリアルには難しいと思います。
それは、なぜか?。
本音ばかりを話していたら、誰かを傷つけてしまうこともありうるからです。
でも、誰かを傷つけたくないために出てしまう言葉は「噓」とは違うと私は思います。
それは「噓」というよりは「優しさ」に近いような気がするからです。
毒をもつ大人はそれが意識的であれ無意識的であれ、子どもを騙しているのです。
「あなたのために」「これはしつけだ」「あなたが悪いから」そういう言葉を巧みに使って「大人」だというだけで子どもを支配しているのです。😔
私は、大人になって「虐待サバイバー」と気が付いた瞬間「ずっと騙されてたんだ」と確信しました。
その「騙された」という事実が、なおさら「許せない」という感情に繋がって思い出したくもないのに、今だに怒りの感情が出てきて今も苦しくなります。
誰にでも、今まで生きてきた中でいろいろな事があって壊されてしまったり歪まされてしまったり、問題を抱えています。
でも、自分の抱えてるものを「自分より弱い」と勝手に決めた相手にぶつけるのは ただ、自分の問題から逃げてるだけです。
自分と向き合うことは、怖いかもしれないけれどそこから学ぶことはたくさんあると思います。
私たちの生きてる社会は、自分たちが思っている以上に複雑で壮絶です。😔
知らないふりをして通り過ぎていく傍観者のままでは、ますます不安と混乱と苦しみが増幅するばかりでしょう。
私たちは「そんな現実」を「それでも」生き延びてきたのですから、自分を責めるよりも自分をほめることが、大切ですね😸
今回は「噓と騙す」ということについて 書いてみました😊
「不作為の噓についての研究」についてのサイトを発見したので、よかったら覗いてみてくださいね🌳
最後までお読みいただき ありがとうございました🙇
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