2025年8月22日金曜日

やってみるんだ展のチラシができたよ #アートで遊ぼう #福祉アートイベント #できるできないじゃないやってみるんだ展 #やってみたいをとめないで



  みなさん、こんにちわ🌳 ぱわちる代表のそらです😊

  今年の10月11日、12日に 杉並区産業商工会館 で、開催される福祉アートイベント できないじゃないやってみるんだ展 のチラシができました😆

 このイベントは、障害あるなし関係なく、大人も子どもも、楽しめるイベントです。

 今年のテーマは、「リズム」 それに合わせて、いろんなワークショップが、開催されます。🎶

 今年も、来場してくださるみなさんの、心の中に楽しい思い出として、残るような、楽しいイベントになるように、スタッフ一同 ただいま準備中です。

 ボランティアスタッフも募集中なので、詳しくはこちらを、ご覧ください。🙇

 また、下のチラシを、スクショして お知り合いの方などに、拡散していただけると、嬉しいです。😆

     

    

    

  
 また、 9月13日(土)14時から コミュニティふらっと高円寺南 で

「大人のやってみるんだ展」を、開催します。詳しくはこちら

7月に セシオン杉並 で、開催された「大人のやってみるんだ展」の動画です。

          


 「大人のやってみるんだ展」も「やってみるんだ展」も、楽しい仲間が待っています。

 あなたも、ぜひ参加して、私たちと、繋がりませんか?

    


   最後までお読みいただきありがとうございました。🙇🍎、

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2025年6月28日土曜日

ぱわちる主催「第3回 つながる会」への招待状 #虐待撲滅の小さな種を蒔こう #毒親育ち #ラスボスは親権 #あなたも子どもだった



   

 みなさん こんにちわ この暑さの中、体調などは大丈夫でしょうか?😖

 水分補給を、しっかりとして、ご自愛くださいね💦

 さて、3月以降なかなか、できずにいた「つながる会」ですが、そろそろ開催したいと思いました。

 7月の19日の土曜日 夜の9時からズームでの交流会をしたいと思います😊

 虐待サバイバーの居場所として、いろんな人が、つながりを持てるような場所にしていきたいと思います。

 「つながる会」の詳細は このリンクから 飛べます。

  回数を重ねていくうちに、たくさんの方と繋がれたらいいなぁと思います。

 参加条件としては、サバイバーの話の中で流れ的に、子どもの頃の壮絶な経験を聞くこともあると思います。

 それぞれトラウマもあれば,フラッシュバックもあると思うので、途中退出も大丈夫です。

 また 顔出しダメの人も声出しもダメな人もいますので、ビデオオフもミュートも大丈夫です。

 zoomのチャット機能で会話することも、全然大丈夫です。

 それから、ぱわちるは共同親権反対なので、申し訳ありませんが共同親権推進派の方は参加できません。

 zoomでの内容は、個人情報になるので、外に漏らさないようにお願いします。

 流れによっては 代表の判断で退出をお願いすることもあります。

 参加希望は 7月15日まで受け付けます。

 tubasa22sora@gmail.com まで [zoom参加希望」と書いてメールをください。

 7月18日にzoomリンクを送ります。 

       



  たくさんの方と繋がれることを、スタッフ一同楽しみにしております。

  最後までお読みいただき、ありがとうございました。😊
  
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2025年6月25日水曜日

「やってみるんだ!展2025」ボランティアスタッフ募集のお知らせ #できるできないじゃないやってみるんだ #アートで遊ぼう



  みなさん こんにちわ ぱわちる代表のそらです🌻

 今年の10月11日、12日に 杉並区産業商工会館 で、福祉×アートイベント
 できないじゃないやってみるんだ展 を開催します。😆 

 そこで このイベントのボランティアスタッフを、緊急に募集しています。

 開催に向けて、これからが多忙な準備期間になるため、たくさんの方のご協力が必要になってきます。😵


   


 ぱわちるは、2023年からこのイベントに関わらせて頂いています。😊

 2023年では「世界で一つのオリジナル作品を作ろう」てことでプラバンのワークショップをしました。

 参加していただいたお客様の中で「こうしたらもっと、きれいになるよ」「こういうやり方もあるよ」と、ご親切に教えてくれる方もいました。

パニック状態であたふたしていた私に、とても優しく接してくださいました。

本当に、今でも暖かい思い出として、感謝の気持ちでいっぱいです。

2024年では、ビーズアクセサリーの販売とワークショップをやりました。

 ぱわちるスタッフの真理さんの作品が、どれも素晴らしすぎて、可愛くて、感動でした。

プラバンの時も、ビーズアクセサリーの時も、子どもたちが自分で考えて作り出す作品は、本当にその子独特の素敵で可愛い作品ばかりで、改めて、子どもたちの自由な感性の素晴らしさを、実感しました。😍

イベントまでの準備は、本当に大変だけど、来場してくださる皆さんの笑顔に、それまでのいろいろが、吹っ飛ばされて、元気になります。

 イベントスタッフになって、一番うれしかったのは、いろんな人と繋がりを持てたこと、とても優しい方ばかりで、近くもなく、遠くもなく、丁度いい距離感で、暖かい雰囲気がそこにはあります。

 このイベントのスタッフに招待してくれたやぶちゃんには、とても感謝しています。

 そして、いつも、なにかしらやらかしている私のことを、受け止めてくれるたくさんの仲間にも、感謝です。

 とても楽しくて、面白くて、素敵なスタッフがたくさんいる、やってみるんだ展の、仲間にあなたも加わってみませんか?🐣




   来月の7月12日 土曜日には、セシオン杉並 で、大人のやってみるんだ展を、開催します。

 是非とも 遊びに来てくださいね 😆


 障害あるなし、関係なく、大人も子どもも、そして、私たちスタッフも、楽しめるそんな時間を、共有したいと思います。🐧

 あなたも、私たちの仲間になってもらえませんか?

 ご連絡お待ちしています。

 最後までお読みいただき、ありがとうございました。😌
 

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2025年6月16日月曜日

「たすけて」と言えない子どもたちに大人ができること~相談室の現場から~ #虐待撲滅の小さな種を蒔こう #ラスボスは親権 #子どもの権利 


 

  みなさん こんにちわ ぱわちる代表のそらです🌻

  最近の何か月かの間、親から虐待を受けている子どもたちの相談で、時間に追われていました。

 今は、少し落ち着きを取り戻してる感じで、相談員の日常も少しづつ戻ってきてはいます。

 今回はブログを、読んでくださる皆さんにも、私たちが関わってきた子どもたちのことを少しだけお話したいと思いました。

 子ども達は「親が怖くて助けてと言えない」「死んでしまいたい」「自分は汚れてる」「自分なんて生きてる価値もない」などと、言います。

 私たちは、その子の気持ちを受け止めながら、否定はせずに、その子の心に溜まっている「助けて」「聴いて」の言葉に耳を傾けています。

 虐待されてる子どもたちは、大人への不信感や恐怖心がとても強いのです。

 その気持ちを少しづつ、溶かしていくには、膨大な時間と労力がかかるけれど、私たちの蒔いた小さな種が、いつかその子の人生のどこかで、花を咲かせる事が、できたらいいなと思いながら、毎日対応しています。

 誰かの心の言葉を否定せず、受け止めるという事は決して、自己満足では、できません。

 もし、自分の自己満足だけで、子どもの相談を聞いたり、子どもと関わるのならば、それは、子どもの立場から見れば支配する毒親や、大人と変わらないからです。

 子どもの気持ちになって、物事を考えてみるという事は、なかなか大人になってしまった私にも難しいこともあります。

 それでも「もし、自分だったら?」の想像力はいつも意識していますが、 時々 子どもに怒られていますww😅

 子どもたちは、私たち大人に、たくさんの学びをくれる先生であり、私も、いろんな事を学びながら対応しています。😊

                    
             


 私たちの相談室に、来る子どもたちのほとんどは、性的虐待を受けています。

 厚労省の調査では、年間39万人、一日千人以上の子どもが、性的被害を受けているとのことです。

 令和5年の児童虐待件数は、225509件でした。

 令和6年の小中高の児童の自殺者数は527人でした。




 誰もが、この社会の中では、生きづらさを抱えており、その根本的な原因として経済や雇用など、様々な課題が重なっています。

 この国では「力のある者には、黙って従え」という空気が蔓延しており、子どもたちに必要な教育ではなく、「この国にとって都合のいい人間」「大人にとって都合のいい良い子」を、作り出すための「奴隷教育」が、「しつけ」「教育」と、いう言葉で隠されています。

大人の都合のいいように、子どもたちの人権を尊重することもなく、無理に「良い子」の型に押し込めようとしてきた結果が、今の社会といえます。

 その負の連鎖は、時代の変化とともに 形を変えても更に、悪い方向に変化しています。

 なぜでしょうか?

 昔から「子ども」は、「一人の人間」ではなく「大人の都合のいいモノ」として扱われてきたからです。

 この国には「大人都合」の仕組みばかりが出来上がり、「子どもから見た社会」は、存在せず、「子どもの立場」から考えた仕組みを大人たちは、作らなかったからです。

 民法818条の親権には

1 成年に達しない子は、父母の親権に服する。

と書かれていますが、遅くても、来年度にはこの文言は、

親権は、成年に達しない子について、その子の利益のために行使しなければならない。と改正されます。


 親権の文言の中に「その子の利益のために」という文が、追記されたのは、いいことだとは思いますが、そもそも、「親権」「子どもの権利」を、認知してる人はどれだけいるのか? 「親権」を濫用することなく、子どもの人権を尊重しながら、子どもと接してる大人はどれだけいるのか?って感じです。😞


 今の社会の仕組み、法律では、救われるべきである命を救うのは、難しく、特に未成年の場合は「親権」が、邪魔をしています。


 私には、それを変える権力もありませんが、少しでも多くの大人が、子ども虐待の現実に向き合い、「虐待は、犯罪なんだ」という空気を広げていけば、法律は変わらなくても、社会の空気は少しづつ変えられるのではないでしょうか?


 自分のできることで、誰かの心が元気になってくれたら嬉しいですね😊


 私たちは、いろんな事情やいろんな背景の中で、なんとか今日を生きてます。


 人との関わりの中で、いろんなことがあるけれど、怒りで心を満たすのではなく、いつも冷静さや、感情のコントロールを忘れたくないなあと思います。


 これから、ますます暑くなりますね😖 


 どうか、水分補給忘れずに、なんとか夏を乗り切りましょう💦


 最後までお読みいただきありがとうございました!😊



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2025年3月2日日曜日

ぱわちる主催 第二回「つながる会」への招待状 #虐待サバイバーの居場所づくり #虐待後遺症 #虐待撲滅の小さな種を蒔こう



 みなさんこんにちわ😊 ぱわちる代表のそらです🍑

 3月の22日の土曜日 夜の9時からズームでの交流会をしたいと思います。😊

 先月の「第一回つながる会」では、ぱわちるスタッフの他に、3人の参加者の方が来てくださいました。

 虐待サバイバーの居場所として、いろんな人が、つながりを持てるような場所にしていきたいと思います。

 「つながる会」の詳細は このリンクから 飛べます。

 回数を重ねていくうちに、たくさんの方と繋がれたらいいなぁと思います。

 参加希望は 3月15日まで受け付けます。

 tubasa22sora@gmail.com まで [zoom参加希望」と書いてメールをください。

 3月20日にzoomリンクを送ります。 

 皆さんの参加をお持ちしています😊 

 最後までお読みいただきありがとうございました。😌


     



   
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2025年2月12日水曜日

子どもから見た親権と共同親権とは? #機能不全家族 #ラスボスは親権 #親権フリーシェア制度の導入を #子どもの権利 #虐待撲滅の小さな種を蒔こう



  みなさんこんにちわ ぱわちる代表のそらです🌳
 
 2024年5月に、離婚後も「父母」が親権をもつ「共同親権」という子どもにとって恐ろしい民法などの改正案が、参議院本会議で可決されてしまいました。

 共同親権の問題に関しては、国会で議論が行われてDV被害者の方が勇気を出して涙ながらに訴えてた場面や、弁護士さんたちが共同親権が執行されてしまえば、医療や進学、福祉や就職等々、様々な問題が出てきて子どもの命にかかわることにもつながると訴えていたことを、テレビなどで見た人もいるのではないでしょうか?😔

  それでは、共同親権とはどんなことをいうのでしょうか?

  日本シングルマザー支援協会 というサイトからの引用を見てみましょう

 「共同親権」とは、子どもの父母双方が親権を持っていることをいいます。
 
 それに対して「単独親権」とは、子どもの父母のいずれか一方のみが親権を持っていることをいいます。

 これまで日本では、子どもの父母が結婚している間は原則として共同親権制、離婚した場合は単独親権制がとられていました。

 親権とは、子どもに対して認められる権利や義務のことです。

  親権の内容は大きく2つに分かれます。


 一つは身上監護権、子どもの身の回りの世話をして子どもを育てるための権利義務のことです。

 身上監護権は、「監護権」とも呼ばれます。


 もう一つは、財産管理権、子どもの財産の管理や、子どもを代理して契約などの法律行為を行う権利義務のことです。


 これらの権利義務を、父母双方が持っていることになるのが共同親権です。


 それでは、そもそも「親権」とは何でしょうか? 


 ウイキペディア 親権  というサイトによれば 


 親権(しんけん)とは、成年に達しない父母のもつその子に対する身分上および財産上の権利義務の総称[1]。未成年の子に対し親権を行う者を親権者という。


 e-eov法令検索 というサイトで 民法第4章の親権で検索すると

  第八百十八条 成年に達しない子は、父母の親権に服する。

 2 子が養子であるときは、養親の親権に服する。

 3 親権は、父母の婚姻中は、父母が共同して行う。ただし、父母の一方が親権を行うことができないときは、他の一方が行う。

 と、書かれています。


 つまり、未成年の子どもは、成人になるまでは親の奴隷でいなさい、子どもは父母二人だけで育てなさいと、書かれているのです。😨


  それでは、離婚しても共同親権になった場合、どんなメリットとデメリットがありますか?


 離婚ガイド というサイトによれば

 離婚後の共同親権を認めることには、主に以下のようなメリットがあります。

  1.  離婚時の親権争いの激化を防げる
  2.  離婚後も両親で協力して子育てできる
  3.  面会交流・養育費の支払いがスムーズに行われやすい

 共同親権が導入されると相手も親権者となる以上、基本的には面会交流を拒否できなくなります。
 そのため、主に以下のようなデメリットが考えられるでしょう。

  1.  子どもへの負担が大きい
  2.  遠方への引っ越しが難しい
  3.  DVやモラハラから逃れられない と書かれています。

 私は、離婚後の共同親権には、反対の立場です。


 離婚や別居などには、いろんな背景や、事情もあるでしょう。


 でも「家族」でいたときに、DVや、虐待が起きていて、自分や子どもの命も心も壊されるような環境で、加害者と一緒に過ごしたいと思うでしょうか?

 その場所から避難しなければ、自分と子どもの命が本当に危険だった人がほとんどではないでしょうか?


 自分たちを傷つけて、虐待するような相手から必死の思いで逃げてきたのに、どうしてまた、関わりをもたせようとするのでしょうか?😔

 共同親権導入に可決した議員たちは可決表明のために席を立った瞬間に、何を思っていたのでしょうか?😔


               


 それでは、子どもから見た「親権」と「共同親権」は、どんなふうに映るでしょうか?


 子どもにとって「親」という大人は「絶対的神様」のような存在です。


 その大人がいなければ、まだ自分の力だけでは生きていくことができないからです。


 子どもは産まれてきた瞬間から、周りの大人たちに愛されて守られて尊重されるべき存在です。


 自分を育ててくれる人との関係の中で「信頼関係」「安心感」「自己肯定感」を育んでいくのです。


 子どもは「保育園」「幼稚園」に入るころになると、周りの子どもたちとの関係を学んでいきます。


 本来ならば「家庭」という場所は自分にとって、一番安心できる場所ならばそこに一緒に住んでいる「家族」という人たちも、自分にとって安心できる関係があるはずです。


 しかしながら、現実はどうでしょうか?


  厚生労働省  の児童虐待相談の対応件数推移及び虐待相談の内容・相談経路によれば、児童虐待相談件数は、207,659件でした。😭

この数字は、データに上がっただけで現実には、この数字以上に子ども虐待は起きていると想像されます。


 2024年の小中高性の自殺者は527人でした。😭


 子ども虐待と子どもの自殺の数字だけ見ても、この社会がどれだけ子どもにとって生きずらいのかが、分かります。


「親権」が、強すぎるために未成年の子どもはどこにも逃げる場所がありません。


 親の離婚、又は別居ということは、両親の間に問題があったということなので、子どもはそれに巻き込まれているということです。


 両親が毎日、争っていたり、片方の親が自分やきょうだい、又はもう一人の大人に対して虐待をしている そんな家庭にどこに安心感や信頼感が、うまれるでしょうか?


 毎日 会社で喧嘩をしている人たちを見なくてはならないとしたら?


 自分は 関係なかったとしてもそんな場面を見てたら大人だって嫌になります。


 この国の明日を創っていくのは、子どもたちです。


 子どもたちを壊していくばかりの社会を作ってきたのは、いつの時代も大人たちです。


 大人がいろんなことに気が付いて、この社会の仕組みや空気を変えていかなければいけないのに、残念なことに「子どもの人権」や「子どもを守る」ことも「虐待」に無関心で傍観者のままの大人が、いることも現実です。


 法律、条例を変えられるのは政治家ですが、いろんな問題に声を上げて政治家に訴えていくのは、一般市民の私たちにもできます。


 この社会は、良くも悪くもいろんなことが、私たちの気がつかない所で、日々、変化しています。


 私は、共同親権が始まってしまったら、更に、子ども虐待は増え続けて、若者の自殺も増加して、DV被害も増えていくと予想しています。😣


どうして「共同親権」の前に「虐待(大人も子どもも被害にあっていること)」についての議論や 「親権」についての改正や解決策等々、被害にあった(あっている)方々を、本気で救おうと国会などで議論してこなかったのかが、とても残念です。


 毎日、次から次へといろんな問題がわいてくるので、一つのことに時間はさけないのかもしれない けれど、どんな問題も、見えない「根っ子」の部分にある問題は「命」「権利」だと勝手に思っています。


その「根っ子」の部分を、改めて変えていかなければいけないんじゃないかな?と…


 政治家の無関心、大人の無関心、命よりも自己保身や利権が大事 そういう残念な人たちがいるこの社会の中で、子ども達は何を感じているでしょうか?😞


 この社会の仕組みがおかしいと、感じてる人はどれほどいるでしょうか?


 私たち「大人」と呼ばれる人たちは「子ども」と呼ばれる人達に、これから何を残していけるでしょうか?


 共同親権の問題について正しく知ってもらいたい弁護士の会

ありしんぶん というサイトが、ありますので よかったら覗いてみてください


最後までお読みいただきありがとうございました。😊


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2025年2月1日土曜日

噓つきは泥棒の始まり? #虐待撲滅の小さな種を蒔こう #虐待は犯罪です #子どもの権利を守ろう #さよなら子ども虐待といえる社会に



 みなさんこんにちわ ぱわちる代表のそらです😸

 みなさんの中にも、子どものころ「噓をついてはいけない」「噓つきは泥棒の始まり」と教えられた人はたくさんいると思います。

 子どものころは「親は間違わない噓もつかない」と信じ込まされているので、その言葉を聞いて自分なりに「そうだよね」と思って、噓をついてしまったりした時に「悪いことしてしまった」と思ってしまいます。😣
 
 それでは「噓」とはどういうことでしょうか?
 
 意味解説辞典 というサイトの中から引用してみましょう

 嘘とは、事実ではないことを相手に伝えることを意味しています。

 まったくそんな事実はないというのに、平気で人にありもしないことを言うとき「嘘をつく」と言います。

 自分の方から故意に虚偽の話を作り上げて、相手を信じ込ませようとするときに使うことで信じ込ませ、自分が悪い立場にならないようにするわけです。

 しかし、いくら正しく生きている人でも嘘をつくことはあります。

 ただ、このときの嘘をつくとは、人を笑わせたり、職場での人間関係をいいものにするために使います。

 また、愛する家族や恋人などにあえてかわいく嘘をつくことで気持ちをつかみ、幸せな気持ちにすることもできます。

 このかわいい嘘とは、疲れているのに「今日は○○君と会えて本当に嬉しい」と事実とは違うことを言えば相手を幸せな気持ちにできるのです。

 

嘘の例文

・私は嘘をつく人は嫌いだ。

・かわいい嘘で相手の気持ちをつかむ。

 自分は嘘をつく人とは付き合えないし、拒否する気持ちを表しています。

 一方で、愛する相手には嬉しくなるような嘘をつくことで気持ちを掴み、いい雰囲気にできるわけです。

 それでは「騙す」とはどういうことでしょうか?

 騙すとは、偽りで人をあざむくという意味があります。

 たぶらかして、人を不快な気持ちにさせるという意味合いもあります。

 本当ではないことを平気で相手に伝えて、本当であるように思い込ませます。

 その人が本当かと思って自分を信じるその姿を見て楽しい気持ちが芽生えるのも、この騙すに当てはまる感情です。

 人が本気で騙されると快感を覚えたり、気を紛らわすなど騙す人は悪いことをしていると知っていて、人をあざむくのが楽しいと快感を覚えるのです。

 このような人は何度も人を騙すことでストレスを発散したり、嫌なことをまぎらわせます。

 使い方としては、「人を騙すことがうまい」とその人を褒めるときに使う場合もあります。

 たいていは悪い意味で使う言葉であり、騙すような人とは付き合うといいことはないので、「人を騙すような人とは付き合ってはいけない」と忠告するときに使います。

 

騙すの例文

 ・人を騙すような人とは付き合ってはいけない。

 ・あの人は平気で人を騙すから注意しろ。

 人を平気で騙す人といると自分もそのような悪い心を持つ人になってしまうので、付き合わないようにしましょう。

 平気で人を騙す人はいずれ自分も騙されて、悪いことに巻き込まれることがあります。

 私たちのイメージとしては上の記事のように「噓」より「騙す」の方が「悪意」があり「噓」の方が軽い印象がありますね

子どものころ大人から言われた「噓をついてはいけない」という言葉は、私的には「絶対に噓をつかないってことはできないから守ることはできない」ことと思っています。

いろんな状況や、タイミングで「噓」をついてしまうこともあるからです。

自分を守るためのウソもあれば、誰かを傷つけないためのウソもあれば、周りの空気に流されてしまうこともあるからです。

そして 自分の心を守るために本当の自分の気持ちに噓をつかなければ生き延びてこられなかったのも虐待サバイバーの悲しいところです。😔

 自分にも誰かにも「噓」をつきたくないし、人を傷つけることもしたくないから、いつも素直に正直に言葉を使いたいとは思っていても、やはり、誰かを傷つけたくないから、言葉を濁してしまったり… 

 お互い 本当はいろいろなことを、本音で語り合って悪い意味でも良い意味でも深い話が出来るような関係というのは、きっとリアルには難しいと思います。

      




 それは、なぜか?。

 本音ばかりを話していたら、誰かを傷つけてしまうこともありうるからです。

 でも、誰かを傷つけたくないために出てしまう言葉は「噓」とは違うと私は思います。

 それは「噓」というよりは「優しさ」に近いような気がするからです。

        



毒をもつ大人はそれが意識的であれ無意識的であれ、子どもを騙しているのです。

 「あなたのために」「これはしつけだ」「あなたが悪いから」そういう言葉を巧みに使って「大人」だというだけで子どもを支配しているのです。😔

 私は、大人になって「虐待サバイバー」と気が付いた瞬間「ずっと騙されてたんだ」と確信しました。

 その「騙された」という事実が、なおさら「許せない」という感情に繋がって思い出したくもないのに、今だに怒りの感情が出てきて今も苦しくなります。

 誰にでも、今まで生きてきた中でいろいろな事があって壊されてしまったり歪まされてしまったり、問題を抱えています。

 でも、自分の抱えてるものを「自分より弱い」と勝手に決めた相手にぶつけるのは ただ、自分の問題から逃げてるだけです。

自分と向き合うことは、怖いかもしれないけれどそこから学ぶことはたくさんあると思います。

 私たちの生きてる社会は、自分たちが思っている以上に複雑で壮絶です。😔

 知らないふりをして通り過ぎていく傍観者のままでは、ますます不安と混乱と苦しみが増幅するばかりでしょう。

 私たちは「そんな現実」を「それでも」生き延びてきたのですから、自分を責めるよりも自分をほめることが、大切ですね😸

 今回は「噓と騙す」ということについて 書いてみました😊

不作為の噓についての研究」についてのサイトを発見したので、よかったら覗いてみてくださいね🌳

 最後までお読みいただき ありがとうございました🙇
 
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2025年1月22日水曜日

私が「母」を捨てた理由 #子どもの権利 #ラスボスは親権 #虐待後遺症 #虐待撲滅の小さな種を蒔こう

   
 
 みなさんこんにちわ ぱわちる代表のそらです🍎

 今回は、私が「母親」を捨てた話を書きたいと思います。

 私は、4人きょうだいの3番目に産まれました。

 赤ちゃんの頃は、とても体が弱く熱ばかり出していて入退院を繰り返していました。

 母親は何回も、私に「そらちゃんはね、ママが来ると、とてもニコニコしていてたけど、ママが帰るころにはすごく泣いていてね それがとても辛かった」と言っていました。

もちろん私には、記憶はないけど、きょうだいの中では私が一番甘えん坊でした。
 
いつも、母親の後をくっついては「ママ、ママ」と言っていたような気がします。

でも、小学校に入ったころから、母親は私に、身体的虐待、心理的虐待をするようになりました。

「お前が悪い」「お前はブスで、デブで、みっともない 醜い」「お前なんか死ね」「お前なんかいらない」「ママの言うことが聞けないなら出ていけ」「お姉ちゃんはできるのにどうしてあんたはできないの?」等々、いろんな暴言を吐かれながら、ハサミで、物差しで、布団たたきで、殴られ続けてきました。

それでも、私は、母親の愛を求めていました。

「自分が悪い子だから…」劣等感の塊で、学校でも、虐められて私の居場所はどこにもないんだと感じながらも、それでも「ママはかわいそうなんだ」と思っていました。

それは、母親がいつも父の悪口や、近所の人の悪口を、私に吹き込み、ほかの子どもたちにも「ママはこんなに苦労してかわいそうなの」と洗脳していたからです。

特に私は、母親にとって一番の毒のごみ箱でした。

子どもにとって「親」とは、絶対的な存在です。

親がいなければ 自分が生きていけないからです。

そして 自分の家庭の中がどんなに機能不全だったとしても「それが当たり前」と思い込まされてしまうのですから、恐ろしいのです。

 母親の質問に答えようとしても「あのね…」と言いかけたとたん「言い訳するな」とまた殴られる そういう事が続くために、私は人と話すことが怖くなって、自分からは何も話せない子になりました。

学校の帰り道は,「自分は醜いから人の顔を見てはいけない」と思い込みいつもアスファルトだけを見つめながら、帰っていました。

他人との距離感もわからず、人間関係もうまくいかない、愛着も承認欲求も、壊されてきたので、人間が怖いくせに、人とくっつきたがり、うざがられたこともあります。

結婚しても、子どもたちが生まれても母親の過剰な支配は止まらず、「あんたが甘やかすから子どもたちがわがままになった」「ほんとこのクソガキは」と子どものことを言われたこともありました。

 それでも孫の前では「優しくていいおばあちゃん」を演じていたのです。

 元夫も毒親と一緒でした。

 二人して私を責めては、支配しようとしていました。

私も子どもたちを感情的に怒り、時には手を挙げてしまい「ごめんね こんな母さんでごめんね」と泣きながら抱きしめて謝っていました。

 父親としての責任を果たせない、子どもたちを傷つけるような男と、このまま一緒にいれば 本当に子どもたちが壊れてしまうと思ったので離婚しました。

子ども達も、段々と不安定になっていきました。

私も 子どもたちに虐待の連鎖をしてしまいましたが、それでも世界で一番大切な子どもたちを、これ以上壊されたくなかったのです。

離婚してとても理解のある優しい人と出会いました。

彼もまた いろんな痛みを抱えてる人でしたが、私のことも子どもたちのこともとても理解してくれて、本当に優しくて面白い人でした。

 父にひさしぶりに、彼と孫を見せたくて、会いに行きました。

 お父さんに、離婚のことも元夫のことも、毒親のことも話しました。

「もう 二度とあの女には関わるな、あいつはお前が赤ん坊のころ、お前の世話なんかしなかったから俺が会社の空き時間に車ですっ飛んでお前の世話をしていたんだよ」と 父は言いました。

その言葉を聞いた時、「私はいらない子だったから、あんなにひどい扱いをされていたんだ」「自分が苦しかったのは虐待されてたからなんだ」と気がつきました。

子どもたちを怒るとき、母親の鬼のような顔、怒鳴り声が自分と重なってパニック状態になっていたこと、やっとその意味が分かったのです。

私は「怒り」の感情がパニック状態を引き起こすことが怖くて、子どもたちを怒ることはなくなりました。

 それでも 今まで子どもたちを不当に傷つけてしまったことが悔しくて泣きました。

 あの気が狂った毒親からの虐待がなければ、連鎖もなかったでしょう。

子どもたちを怒ることはあっても、もっと違っていたでしょう。

 私も、大人になって母になって親の苦労や子育ての大変さも分かります。

 私は、今でも毒親を許せません 元夫も許せません。

 許さなくていいのです。私は、私の大切な子どもたちを、傷つけた2人が許せないのです。

 母親は、私に噓をついていました、「あなたがとても体が弱くて、ママは宗教に入って一生懸命に信心したの、だからあなたは助かったの」と…

そんなに宗教にはまるほど、私のことを大事に思っていたのなら、何故 虐待をしたのでしょうか?

「あなたをいい子に育てたかった」と後年になって母親は、言いました。

 自分にとって都合のいい子に育てたかったのでしょう。

 私にとって本当の親は、父親だけでかつて「ママ」と呼んでいた人間は、私を産んだだけの人と思い込むようにしています。

 私や子どもたちを理解してくれた父も、彼も今はこの世界にはいません。

 子ども達は、彼のことを「お父さん」と感じているようです。

 それくらい 子どもたちにとって、彼は安心できる存在だったのです。

 彼がいなくて とても寂しい気持ちになります。

 でも、私には、たくさんの友達がいます。 

 たくさんの人に支えられて、かわいい子どもたちと過ごしています。

 子育てに自信がある人なんていません。 

 誰でも親になる人は、子どもたちからたくさんのことを教えられながら、自分も子どもと一緒に成長していくのです。

 今もこの瞬間にも虐待されている子どもたちがいます。

 この国は、虐待サバイバーを増やし続けています。

 子ども差別をして「親権」「しつけ」という言葉を隠れ蓑にして子どもを壊していく毒をもつ大人がいて、親権や法律を変えて子ども虐待の根っこから変えていこうと、本気で政治家が動かないからです。

 「虐待後遺症」という時限爆弾を、抱えながら私たちサバイバーは、生きていかなければいけないのです。

子どものころは、誰も何も悪くはなかったのにその責任も自覚もないのが毒をもつ大人です。

 今の現行法では、子どもは救われないのです。 

 どこに逃げればいいのでしょうか?

今回は 私が毒をもつ大人を捨てた理由を長々と書きましたが、この記事を書こうと思ったのは、ほとんど衝動的でした。

 吐き出すことで、少し心の浄化をしたかったのです。

 子ども虐待防止策イベントin東京2021 でも「親への手紙」を読んでいます

 私の子どもの頃の話を、最後まで読んでくださり本当にありがとうございました。🙇         
      


         
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