生きる権利
防げる病気などで命をうばわれないこと。
病気やけがをしたら治療(ちりょう)を受けられることなど。
育つ権利
教育(きょういく)を受け、休んだり遊んだりできること。
考えや信じることの自由(じゆう)が守られ、自分らしく育つことができることなど。
守られる権利
暴力(ぼうりょく)や、むごい扱(あつか)いを受けることのないように守られること。
どんなかたちでも、子どもの幸せをうばって利益(りえき)を得(え)るようなことから守られること。
障(しょう)がいのある子どもや、少数民族(しょうすうみんぞく)の子どもなどはとくに守られることなど。
参加する権利
自由に意見(いけん)をあらわしたり、集まってグループをつくったり、自由な活動(かつどう)をおこなったりできることなど。
詳しくはこちら⇔ ユニセフ 子どもの権利条約
世界中で虐待事件が起きていて、虐待されるのは子どもだけとは限りません。
それでは児童虐待とは何でしょうか? 児童虐待 ⇔ここをクリック
児童虐待の定義は、主に「身体的虐待」「性的虐待」「心理的虐待」「ネグレクト」の4つしかありませんが、他にも「文化的虐待」「ヤングケアラー」「宗教虐待」「教育虐待」などがあり、他にも名前を付けられるなら果てしない虐待の数が存在すると言ってもいいと思います。
この国の虐待防止策は30年以上も失敗だらけで いくら箱モノを作っても児童相談所の職員を増やしても、法律条例を変えない限り、虐待はなくせないのです。
昔から、政府は子どもの問題に本気で取り組まず、子どもの声を聴くことも虐待サバイバーの声を聴くこともなく、大人目線で社会の仕組みを作ってきたから、現実の少子化問題が深刻になり、コロナ感染の影響もありますが、雇用や経済も、滅茶苦茶の結果を招いています。
いつの時代でも、子どもたちが日本の明日を繋ぐ人たちなのに、それすらも気が付かない大人がいるのです。
私たち大人と呼ばれる人たちは、段々と悲しいかな老いていきます。
体力も頭も若いころのようには動きません。
でも、今を生きてる子どもたちには、元気もあるし、いろんな可能性があります。
大人が立ち止まり振り返るべきことは「自分も子どもだった」ということではないでしょうか?
私は、子どもの権利を考えるときに真っ先に「天気の子」という映画を思い出します。
今を生きる未成年の子どもたちが、どれだけ親権 や法律条例に縛られて身動きできないでいるか?
もちろん、その子の安全を守るためということもありますが、親権 は「成年に達しないものは父母の親権に服する」という恐ろしい民法です。
また父母だけに子育ての責任があるということも虐待を増加させてる一因だと思います。
私は、今はシングルマザーですが、結婚していても、元夫は「父親」ではなかったので、ほとんど私一人で育児をしていました。
「俺がなんか言えばお前は口出しする」と言っていましたが、いきなり大声で怒鳴り散らし、子どもたちを怯えさせて泣かす男を、誰が放置できるでしょうか?
やはり、いろいろと事情はあっても父母だけで子育ては無理なのです。
地域の人々、祖父母や親戚、あるいは近所の人、友達等々いろんな大人たちが関わることが、その子にとっても、父母にとっても、良いことなのです。
「法は家庭に入らず」とはいつの時代の法律でしょうか?
「よその家庭のことには口出すな」とはいつの常識でしょうか?
ある程度のプライバシーは尊重されるべきですがそれでも、どんな事でも誰かの協力やお互いに助け合うことは必要不可欠ではないでしょうか?
今回は、子どもの権利について私なりに書いてみました。
映画「天気の子」が何を伝えたいのか知りたい人は⇔ 今一生ブログ
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