みなさんこんにちわ ぱわちる代表のそらです🍎
今回は、私が「母親」を捨てた話を書きたいと思います。
私は、4人きょうだいの3番目に産まれました。
赤ちゃんの頃は、とても体が弱く熱ばかり出していて入退院を繰り返していました。
母親は何回も、私に「そらちゃんはね、ママが来ると、とてもニコニコしていてたけど、ママが帰るころにはすごく泣いていてね それがとても辛かった」と言っていました。
もちろん私には、記憶はないけど、きょうだいの中では私が一番甘えん坊でした。
いつも、母親の後をくっついては「ママ、ママ」と言っていたような気がします。
でも、小学校に入ったころから、母親は私に、身体的虐待、心理的虐待をするようになりました。
「お前が悪い」「お前はブスで、デブで、みっともない 醜い」「お前なんか死ね」「お前なんかいらない」「ママの言うことが聞けないなら出ていけ」「お姉ちゃんはできるのにどうしてあんたはできないの?」等々、いろんな暴言を吐かれながら、ハサミで、物差しで、布団たたきで、殴られ続けてきました。
それでも、私は、母親の愛を求めていました。
「自分が悪い子だから…」劣等感の塊で、学校でも、虐められて私の居場所はどこにもないんだと感じながらも、それでも「ママはかわいそうなんだ」と思っていました。
それは、母親がいつも父の悪口や、近所の人の悪口を、私に吹き込み、ほかの子どもたちにも「ママはこんなに苦労してかわいそうなの」と洗脳していたからです。
特に私は、母親にとって一番の毒のごみ箱でした。
子どもにとって「親」とは、絶対的な存在です。
親がいなければ 自分が生きていけないからです。
そして 自分の家庭の中がどんなに機能不全だったとしても「それが当たり前」と思い込まされてしまうのですから、恐ろしいのです。
母親の質問に答えようとしても「あのね…」と言いかけたとたん「言い訳するな」とまた殴られる そういう事が続くために、私は人と話すことが怖くなって、自分からは何も話せない子になりました。
学校の帰り道は,「自分は醜いから人の顔を見てはいけない」と思い込みいつもアスファルトだけを見つめながら、帰っていました。
他人との距離感もわからず、人間関係もうまくいかない、愛着も承認欲求も、壊されてきたので、人間が怖いくせに、人とくっつきたがり、うざがられたこともあります。
結婚しても、子どもたちが生まれても母親の過剰な支配は止まらず、「あんたが甘やかすから子どもたちがわがままになった」「ほんとこのクソガキは」と子どものことを言われたこともありました。
それでも孫の前では「優しくていいおばあちゃん」を演じていたのです。
元夫も毒親と一緒でした。
二人して私を責めては、支配しようとしていました。
私も子どもたちを感情的に怒り、時には手を挙げてしまい「ごめんね こんな母さんでごめんね」と泣きながら抱きしめて謝っていました。
父親としての責任を果たせない、子どもたちを傷つけるような男と、このまま一緒にいれば 本当に子どもたちが壊れてしまうと思ったので離婚しました。
子ども達も、段々と不安定になっていきました。
私も 子どもたちに虐待の連鎖をしてしまいましたが、それでも世界で一番大切な子どもたちを、これ以上壊されたくなかったのです。
離婚してとても理解のある優しい人と出会いました。
彼もまた いろんな痛みを抱えてる人でしたが、私のことも子どもたちのこともとても理解してくれて、本当に優しくて面白い人でした。
父にひさしぶりに、彼と孫を見せたくて、会いに行きました。
お父さんに、離婚のことも元夫のことも、毒親のことも話しました。
「もう 二度とあの女には関わるな、あいつはお前が赤ん坊のころ、お前の世話なんかしなかったから俺が会社の空き時間に車ですっ飛んでお前の世話をしていたんだよ」と 父は言いました。
その言葉を聞いた時、「私はいらない子だったから、あんなにひどい扱いをされていたんだ」「自分が苦しかったのは虐待されてたからなんだ」と気がつきました。
子どもたちを怒るとき、母親の鬼のような顔、怒鳴り声が自分と重なってパニック状態になっていたこと、やっとその意味が分かったのです。
私は「怒り」の感情がパニック状態を引き起こすことが怖くて、子どもたちを怒ることはなくなりました。
それでも 今まで子どもたちを不当に傷つけてしまったことが悔しくて泣きました。
あの気が狂った毒親からの虐待がなければ、連鎖もなかったでしょう。
子どもたちを怒ることはあっても、もっと違っていたでしょう。
私も、大人になって母になって親の苦労や子育ての大変さも分かります。
私は、今でも毒親を許せません 元夫も許せません。
許さなくていいのです。私は、私の大切な子どもたちを、傷つけた2人が許せないのです。
母親は、私に噓をついていました、「あなたがとても体が弱くて、ママは宗教に入って一生懸命に信心したの、だからあなたは助かったの」と…
そんなに宗教にはまるほど、私のことを大事に思っていたのなら、何故 虐待をしたのでしょうか?
「あなたをいい子に育てたかった」と後年になって母親は、言いました。
自分にとって都合のいい子に育てたかったのでしょう。
私にとって本当の親は、父親だけでかつて「ママ」と呼んでいた人間は、私を産んだだけの人と思い込むようにしています。
私や子どもたちを理解してくれた父も、彼も今はこの世界にはいません。
子ども達は、彼のことを「お父さん」と感じているようです。
それくらい 子どもたちにとって、彼は安心できる存在だったのです。
彼がいなくて とても寂しい気持ちになります。
でも、私には、たくさんの友達がいます。
たくさんの人に支えられて、かわいい子どもたちと過ごしています。
子育てに自信がある人なんていません。
誰でも親になる人は、子どもたちからたくさんのことを教えられながら、自分も子どもと一緒に成長していくのです。
今もこの瞬間にも虐待されている子どもたちがいます。
この国は、虐待サバイバーを増やし続けています。
子ども差別をして「親権」「しつけ」という言葉を隠れ蓑にして子どもを壊していく毒をもつ大人がいて、親権や法律を変えて子ども虐待の根っこから変えていこうと、本気で政治家が動かないからです。
「虐待後遺症」という時限爆弾を、抱えながら私たちサバイバーは、生きていかなければいけないのです。
子どものころは、誰も何も悪くはなかったのにその責任も自覚もないのが毒をもつ大人です。
今の現行法では、子どもは救われないのです。
どこに逃げればいいのでしょうか?
今回は 私が毒をもつ大人を捨てた理由を長々と書きましたが、この記事を書こうと思ったのは、ほとんど衝動的でした。
吐き出すことで、少し心の浄化をしたかったのです。
子ども虐待防止策イベントin東京2021 でも「親への手紙」を読んでいます
私の子どもの頃の話を、最後まで読んでくださり本当にありがとうございました。🙇
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