2023年7月23日日曜日

「子どもを救おう」と言いながら噓をつく大人たち  #虐待撲滅の小さな種を蒔こう 


 

 みなさんこんにちわ ぱわちる代表のそらです🌳

 🚨ぱわちるでは離婚後の共同親権には反対の立場をとっています 共同親権を推奨している方はスタッフにはなれませんのでご理解の程よろしくお願いいたします

 日本ではそもそも論として「子どもを大事に育てよう」という文化は根づいていません。

 明治時代からの 家父長制度 が現在まで続いています。

 そして民法の第四章の 親権 にはこう書かれています。

 「成年に達しないものは父母の親権に服する」😱

 未成年の子どもは自分の居場所も、財産も全て親が管理することができると書いてあります。

 そして、その子がどこかに参加することも、自由に発言することも当然のことなのにそれさえも許さない親もいます。

 昭和8年に初めての「児童福祉法」というものが作られましたが昭和22年に児童福祉法の制定に伴い廃止されました。

 しかしながら、どんどん深刻化する虐待増加に伴い平成12年に今の「児童虐待防止法」が作られました。

 それでもなお、虐待相談件数は増え続けて15歳からの30歳までの若者の死因のトップは自殺です。

 厚労省 の発表によると一番自殺の件数が多いのは何と東京です!

 そして2番目に多いのが大阪です。

 令和4年4月から令和5年3月までの1年間に、県所管の児童相談所で受け付けた虐待相談受付件数は、7,290件で、前年度と比較すると548件(8.1%)増でした。 

なお、この件数は過去最多です。

 次に子どもの権利について見てみましょう。

 子どもの権利には大きく分けて次の4つがあります

 生きる権利 育つ権利 守られる権利 参加する権利 ですが、ほとんどの子ども達は知らないでしょう。

 それどころか未成年の子どもでも、虐待する親から逃れるために 親権停止 の裁判ができることすら知らないのです。😥

 私も、子どもの頃にそれだけでも教えてくれる大人がいればなあと思いました。

 子どもの権利 は、もちろんそれだけではありません。

 人間は誰でも、生まれた瞬間から(もしくは、お腹に命を宿した瞬間から)人権を尊重されるべきであり マズローの法則 にあるように、基本的な欲求を持っています。

 私は 虐待も、虐めも人としての尊厳を傷つける行為はすべて犯罪だと思っています。

 人には様々な背景があり、一人一人の苦手なこと、得意なことが違います。

 それは当たり前のようですが、私たちは時にそのことを忘れてしまって誰かに「私と同じ」を押し付けてしまいがちです。

 私は、一人一人は色も形も違うし、違うからこそいろいろな発見や学びをその人からもらえると思っていて、それを「多様性」と呼んでいます。

 さて… この国には「子どもを守ろう」「当事者を助けたい」と声を上げる人たちがいて、現実に困ってる人たちに支援をする活動をしていたり、子どもたちに支援したりする人たちが、います。

 自分のできることで精一杯頑張ってくれています。

 🚨 私はその活動をしていない人,もしくはできない人を責めてるのではありません。

 今は、みんながみんな生きてくのに精一杯ですから、心の余裕がなくなっています。

 私が不快に思うのは「子どもを守ろう」「当事者を助けよう」と声をあげておきながら、実際には何もしない人です。

 そして、目の前で子どもが命の危険にさらされている、もしくは誰かが困っているのに、見てみないふりをして「傍観者」になる人

 そして「虐待」「虐め」を「ふざけてただけ」「これはしつけ」とサラリと言えちゃう人です。

 「人の家庭に口出すな」と言うのはある程度はプライバシー保護の意味では正解だと思いますが、子どもの命、もしくは家族の誰かの命が危険にさらされてると思ったら、何か助けたいと思うのは人として当たり前のことではないでしょうか?

 昔からこの国には「子どもを大事にしよう」という歴史的文化はなく、また「命の尊厳」も教えられてこなかったために「子どもは、大人の都合のいい道具」として使われてきました。😭

 先に述べた親権にも「子どもは、黙って親の言うことに従え」という恐ろしいことが書かれています。

 そういう歴史的背景が「家父長制度」「同調圧力「差別意識」を生み出して
「虐待」「虐め」に、繋がっていったのではないかなと私は思います。

 残念なことにこの国には今も「べきねばちゃんと」「古い価値観」という空気が社会の中に蔓延しています。

 そして「命を大事にしない」政策を今の政治が作っています。

 そのやり方は国民にも影響されて大人から子どもへと悪しき連鎖が起きています。

 この世界は歪んでいますが,どこの国にいても完璧もないしそれは人間でも同じです。

 それでは、この社会で私たち大人が子どもたちに伝えていけることは何でしょうか?

 命が粗雑に扱われている中で「命の尊厳」「人としてのあたりまえの権利」を伝えるのは難しいと思いますか?

 法律や条例を作るのは政治家ですが、この国の空気を変えていくことは国民にもできるはずです。

 悪しき連鎖を止めるためには一人ひとりの小さな声が必要です。

             


 それぞれがいろんな問題を抱えて生きているので、その痛みや苦しみに気が付いていなくてもサバイバーといえるのではないでしょうか?

 「自分には関係ない」と通り過ぎるのではなく「わからないけど、知らなかったけど、もしかしたら自分にも起こることかもしれない」という気持ちは大事だと思います。

 自分は被害者なのに「誰にも話すな」という刷り込みをされているために たとえ誰かに話しても軽く返されたり、わかってもらえなかった また話せば自分が責められるという罪悪感があるために その「助けてください」を、言葉に出せないとしたらその声は心に大きい影響を与えるでしょう。

 でも 先ほども言ったように人にはそれぞれの事情がありますので、そのことに正解とか間違いとかはありませんが、私のように声をあげられるのならばその小さな声を消さないでほしいなあと思います。

 小さな石ころでも集まれば重くもなるし、大きくもなるのです。

 私は、自分ができる限りは、諦めないでこの声を上げ続けたいと思います。

     


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 年齢性別問いません。

 私たちと一緒に虐待をなくすために、小さな声をあげませんか?

 最後までお読みいただきありがとうございました。

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